教育の古今:今どきの子どもたちが受けている教育の質と量

自分の子供は,小学生です.子供が学校で使っている教科書や,教材,そして子供の話から現代の教育が少しわかります.

教育の質と量は,日本において戦後ずっと下がってきています.そんなバカなと思う人がいるかもしれませんが,反駁できない事実です.この私自身,日本の教育が下り坂にある過程で教育を受けていたのです.

まず,最初に,注意を喚起しておきますが,数年前「大学生の学力低下」が話題になったと思います.あれは,大学の現場にいる先生からの,深刻な悲鳴でした.しかも,そこで指摘されたのは,大学生の学力低下の背景には,日本の教育自体が深刻な質・量ともの地盤沈下を起こしている現状があるということでした.

日本は,高度成長期の終焉をむかえる1970年代前半から約20年くらい,つまり高度成長期に教育を受けた人たちが社会の中堅として活躍するバブル直前くらいまで,経済に限ってはなんとかよいperformanceを堅持することができました.

でも,バブル崩壊後は,経済ですらひどいものです.その現状をバブルだけで説明することはできません.労働の質の低下がひどいのです.もちろん小子化による量の減少も大きいですが・・・

さて,日本の教育の質と量が下がってきたこと,またそれが見過ごされてきたのはなぜかを,語りたいと思います.

まずみすごされていた理由を最初に書きます.はっきりいって,文部省,文部科学省,名前が変わってもこの省庁は,教育をうける子供たちのことなど,現場の目線で考えたり,長期的な視点でことはありません.すべて,現状の問題の小手先の処理に奔走するのです.

具体的には,

1.初期には日教組の力が教育現場で強くなることへの警戒から,教師の管理に多くの精力を費やします.
2.そして校内暴力他の学校現場での問題・教師の質・数ともの低下の中で,指導要領の消化が難しくなると,指導要領の内容の削減を繰り返しました.
3.子供の学力自体には,まったく目をむけない.驚いたことに,日本の教育の質がどうだったかという,経年変化を調べる作業を何十年とさぼりつづけました.

1.は,自立的に行動するという教師を学校からなくしていきました.そして,新規教員の採用においても,事実上の思想調査を含めた,適正調査を徹底的なfilteringを行い,子供にとってもよい教師が生まれる機会を奪うことになりました.それは,長期的に,教師になりたいという若い人たちの希望をなくしました.

2.は,ひどいものです.私は,戦後の指導要領を改訂ごとにすべに目を通していますが,表面的な「改善」にだまされず冷静に見ると,質・量の低下はすごいものです.

「ゆとり」「個性の尊重」というお題目が,文部省・文部科学省の役人が自分たちの失政に対して,(現行指導要領をこなせない現状を生み出した根本原因に手をつけず),指導要領の削減という,小手先の技でごまかすための「味付け」に使われたことが一目瞭然です.

一方で,変な教育哲学にかぶれた,少々常識がはずれた教育学者を抱きこんで,「ゆとり」「総合学習」の効能を信じて突き進んだ,頭が少しおかしい官僚がいたことも不幸でした.

3.文部省は,学力の国際比較をもって,日本の教育の優秀さを喧伝してきたきらいがあります.確かに,非常に高い時期もありました.現状は,それも下がる一方です.国際比較は,各国で純粋にランダムに抽出された学校の生徒たちが受ける,統一試験を基礎にしていますが,日本は優秀と目される学校に,その統一試験をうけさせるという,ズルをしてきました.その一方で,同一の試験内容で,毎年各学年の全国の小学生の学力を計るという努力を一切してきませんでした.

質量については,最近では多くの報道がなされたこともあり,文部科学省も「ゆとり教育」の軌道修正をはじめています.しかし,半世紀にわたる戦後教育全体の地盤沈下はとまらないでしょう.

次回は,私自身の経験,私の父親とその同世代のエリートのこと,開智学校でみたもの,カリキュラムの国際比較,アジアの国の教育のすごさ,日本がOECD諸国でも如何に公的教育にケチか,など具体的なことを書きます.

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