文学の有用性? 

日曜日の日本経済新聞の読書欄に,佐藤良明という人が,「半歩遅れの読書術」のコーナーで池澤夏樹著『世界文学を読みほどく』をとりあげていました.

この本のマクロ的な視点のすごさにふれた後,「どうやら池澤氏も,文学を情熱の発散ではなく,理性の沈着として見る文学者の系譜に属するようだ.」と指摘し,「メディア時代の大衆思考の愚を嘆くそのリベラルな闘士は,文学の知が深く有用であることを説いてやまない.」と書いています.

私のような文学について,それほど興味がない人間にとって,文学者の思考はよくわからないのですが,優れた文学者という人がいるならば,その人はきっと優れた知性の持ち主だろうという気がします.

文学の対象となる文芸作品を創作するときには,感性も必要かもしれませんが,文芸作品を研究するときに知性がなくてどうするという気持ちはあります.特に,真に尊敬するに値する知性は,大局観をもったもののはずです.そしてその知性は,理性に軸足をおきながら,文芸作品に現われる諧謔・矛盾・狂気などを感知する力をもつもののはずです.

文学者の中には,きっと専門バカもいるのだと思います.(自分のことは棚にあげた上で)私はブログで専門家の限界を何度か指摘してきました.専門の中でしか語らない(語れない)人,専門以外のことを語ったときに内容に普遍性をともなわない人が,ほとんどです.特に,後者のパターンは,私が見る限り,本業が大したことない人(マスコミ知識人)にありがちです.

佐藤良明氏のいう「有用性」という言い方は嫌いですが,文学の研究内容に普遍性がともなうことを「有用」という言葉で表現しているのならば,大いに同意したいと思います.

かなり以前,四ッ谷駅の近くにある某有名私立大学の文学部英文学科の年配の先生と,会話する機会があったのですが,あまりの「専門家」ぶりに呆れて,文学研究の「科学性」をネタに挑発しました.年齢差が20歳くらいあるのに,オロオロ,イライラして支離滅裂な発言が笑えました.

そのときの私は非常に失礼だったと思います.でも,本当に素晴らしい知性のある人ならば,私の挑発を余裕で受け止め,その浅はかさを指摘してくれたのでは,と思いました.

追記: 佐藤良明氏が書いている「メディア時代の大衆思考の愚」については,相田みつをファンを肴に別の機会に語ってみたいと思います.(ネットで調べると,相田みつを嫌いが結構いるらしくて,自分の意見をまとめるのに役に立ちました.)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック