映画「きみにしか聞こえない」を見ました(続):ネタバレ注意
前日のブログで映画「きみにしか聞こえない」を取り上げました.
一度,DVDを見終わってから,気になってもう一度最後から作品を見直してみました.ディテールのほころびがあるものの,やはり感動しました.ディテールのほころびよりも,脚本の丁寧さがもっとよく見える感じがしました.
今回,少し注意して観たのは,もう一人の「頭の携帯」の交信相手,ハラダ(片瀬那奈)です.ハラダは,映画の最後の方でリョウ(成海璃子」の10年後であることがわかります.しかし,進行の上で謎の存在とされます.
勘のいい人は,交信に時差があるなら,未来や過去の自分との対話もありうるとピンとくるでしょうが,私も含めて荘でない人の方が多いかもしれません.
ハラダは自分の姓は明かしても,名前を明かしてません.(ハラダが本名かどうかも微妙な感じがしますね,この段階で)
ハラダは,子供相手に音楽教室をやっているようです.レッスン後の子供との短いシーンでの自室にはピアノの他の楽器も映されます.
リョウが,シンヤにいそいそと会いに出かけるときにハラダと交信するシーンには,遠景であの赤いラジカセも映っています!また,耳に左手を当てるポーズ(これは,明らかに視聴者サービス)では指輪が確認できます.どうやら,結婚しているらしい.
小さなテーブルには,椅子が2脚.子供はまだおらず,新婚家庭と思われます.
この手の時間を小道具にする作品は,歴史の整合性が問題になります.それをいかに自然にクリアするかがポイントです.
そのように考えると,大人になったリョウは,ハラダという男性と出会った時点から結婚後までの時点の間で,過去の自分と交信するべきだと気付いたはずなんですね.だから,体育の時間に一人はなれてぽつんとしているリョウに脳内電話がかかってきてリョウがシンヤからの電話だと思って,「まちがいました」と切ろうとするとき,ハラダは「せっかくだから話をしましょう」と言ったのです.ここで,ハラダの明確な意図を感ずるべきなんですね.
ハラダは,結婚が決まって,自分がハラダになると決まった時点から,ずっと過去の自分に電話をかけ続けていたのかもしれません.つらい経験をしなくてはならない過去の自分を導く責任を感じながら・・・・
話は変わりますが,小学校でピアノをやめたリョウが,高校2年になって「きみにしか聞こえない」をピアノでさらさら弾いて,母親と妹が壁越しにうなずきながら聴くシーンがあるのですが,あれって何気にリョウが非常に音楽の才能があって,母親も(合唱コンクールでピアノを弾くことになったと張り切っていた)妹も,わかっていてリョウが音楽を再開してくれることを切望していたことを暗示する,とてもいいシーンでした.
そして,(誰もが振り返るだろう)美少女であるリョウ(成海璃子)に,小学校の発表会で「ドレスが変,ピアノもへた」と廊下で話していた同級生が,才色めぐまれたものへの嫉妬からの発言であることを,補強するシーンになってます.
そして,シンヤとの対面にめかしこんで出かけるリョウに,手放しで喜ぶ両親.これも,両親がいかにリョウのことを気にかけていたかを暗示するシーンです.脚本,本当によく出来ています.
リョウが自分を取り戻せた,壊れた自分を直してくれた(治してくれた)シンヤは命を失う,という構図は,リョウにとってとても大きな代償であったことを意味するわけで,印象を深くしてくれます.
それにしても,成海璃子ちゃんと美しさは,目がくらむほどですね.思春期の女の子は可愛いのですが,本当に美しい子は十代から群を抜いています.
一度,DVDを見終わってから,気になってもう一度最後から作品を見直してみました.ディテールのほころびがあるものの,やはり感動しました.ディテールのほころびよりも,脚本の丁寧さがもっとよく見える感じがしました.
今回,少し注意して観たのは,もう一人の「頭の携帯」の交信相手,ハラダ(片瀬那奈)です.ハラダは,映画の最後の方でリョウ(成海璃子」の10年後であることがわかります.しかし,進行の上で謎の存在とされます.
勘のいい人は,交信に時差があるなら,未来や過去の自分との対話もありうるとピンとくるでしょうが,私も含めて荘でない人の方が多いかもしれません.
ハラダは自分の姓は明かしても,名前を明かしてません.(ハラダが本名かどうかも微妙な感じがしますね,この段階で)
ハラダは,子供相手に音楽教室をやっているようです.レッスン後の子供との短いシーンでの自室にはピアノの他の楽器も映されます.
リョウが,シンヤにいそいそと会いに出かけるときにハラダと交信するシーンには,遠景であの赤いラジカセも映っています!また,耳に左手を当てるポーズ(これは,明らかに視聴者サービス)では指輪が確認できます.どうやら,結婚しているらしい.
小さなテーブルには,椅子が2脚.子供はまだおらず,新婚家庭と思われます.
この手の時間を小道具にする作品は,歴史の整合性が問題になります.それをいかに自然にクリアするかがポイントです.
そのように考えると,大人になったリョウは,ハラダという男性と出会った時点から結婚後までの時点の間で,過去の自分と交信するべきだと気付いたはずなんですね.だから,体育の時間に一人はなれてぽつんとしているリョウに脳内電話がかかってきてリョウがシンヤからの電話だと思って,「まちがいました」と切ろうとするとき,ハラダは「せっかくだから話をしましょう」と言ったのです.ここで,ハラダの明確な意図を感ずるべきなんですね.
ハラダは,結婚が決まって,自分がハラダになると決まった時点から,ずっと過去の自分に電話をかけ続けていたのかもしれません.つらい経験をしなくてはならない過去の自分を導く責任を感じながら・・・・
話は変わりますが,小学校でピアノをやめたリョウが,高校2年になって「きみにしか聞こえない」をピアノでさらさら弾いて,母親と妹が壁越しにうなずきながら聴くシーンがあるのですが,あれって何気にリョウが非常に音楽の才能があって,母親も(合唱コンクールでピアノを弾くことになったと張り切っていた)妹も,わかっていてリョウが音楽を再開してくれることを切望していたことを暗示する,とてもいいシーンでした.
そして,(誰もが振り返るだろう)美少女であるリョウ(成海璃子)に,小学校の発表会で「ドレスが変,ピアノもへた」と廊下で話していた同級生が,才色めぐまれたものへの嫉妬からの発言であることを,補強するシーンになってます.
そして,シンヤとの対面にめかしこんで出かけるリョウに,手放しで喜ぶ両親.これも,両親がいかにリョウのことを気にかけていたかを暗示するシーンです.脚本,本当によく出来ています.
リョウが自分を取り戻せた,壊れた自分を直してくれた(治してくれた)シンヤは命を失う,という構図は,リョウにとってとても大きな代償であったことを意味するわけで,印象を深くしてくれます.
それにしても,成海璃子ちゃんと美しさは,目がくらむほどですね.思春期の女の子は可愛いのですが,本当に美しい子は十代から群を抜いています.
この記事へのコメント
最後にシンヤが手話で「一人じゃないよ」と言うという記述を他のブログで見たので気になっていたのですが、もしかするとシンヤは未来のリョウと末に会話して、彼女の未来や自分の死を知っていたのかも、と思いました。
ってか、とにかく原作見てみますww