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作曲家吉松隆氏は,書くことと描くことも達者な人です.(マンガはとにかく2頭身でかわいらしい!) で,吉松氏のブログ,八分音符の憂鬱をよくチェックしています.これは日々の雑感で,わりと真面目な音楽エッセイは,姉妹サイトの月刊クラッシック音楽探偵事務所になります. このサイトに今月分として,「現代音楽はお好き?」と題された文章が載っています.これが,わかりにくと悪評の高い現代音楽,それもトーンクラスターという手法と,自らの「鳥」シリーズの関連を,ネタばらししています.(いいんですかね?こっちが心配してしまいます.) 今回,書くことは,トーンクラスターのことではなくて,ペンデレツキ、ルトスワフスキと言ったポーランドの現代作曲家が60年代に試みた「グラフィック・スコア」系の書式についてです.私の好きな,J.ケージも,変な楽譜があって楽しい,作曲家です.これは,既存の楽譜の表現力を乗り越えようとした過程で出てきたものとして理解できます. 吉松氏の文章を読んでいて,はて,楽譜って何だっけ?と思いました.音楽が,完全に個人的なもので,それを演奏したり歌ったりするのが,作曲者その人だけの場合,楽譜に書きとめる必要性は薄いのです.実際,ストリート・ミュージシャンで,歌詞にコード進行をメモして,自作の曲を歌っている人はいます. 今の時代は,デジタル録音機器がiPodと同程度の価格で手に入るので,昔あったカセットに録音して売り込むというレベルより,はるかに高音質で自分の演奏を永久的に残せます.つまり,歌・演奏のニュアンスを含めて,備忘録としての楽譜を書くことは,そうした自作・自演で閉じた人間には,完全に無用です. とすると,楽譜は自分以外の誰かが,演奏することを前提に書くものだということになります.(別に,自分のために書くということを否定するわけではありません.) すると,自分のイメージ通りの演奏をしてもらいたいという意図で楽譜を書くのか.そういう側面はあるでしょうが,すべてではないと思います.私は作曲家でないのでわかりませんが,自分が作り出した音楽に共感してもらいたい,共感した上で,よりよい音楽を作ってほしいというアドバイスとして記すという側面もあると思います. 自分の作品は再現されてなんぼであるが, (1)徹底的に自分の思い通りに再現されないと嫌だ.ちゃんと細かい意図を読み取るべし. (2)演奏家の裁量はたっぷり残してあります.ただし,最低限,こちらの意図は正確に読み取ってください. という,態度の間に作曲家の心はあるのかもしれません. 実は,演奏者の楽譜に対する態度はこれの表裏の関係にあります. そんなこんなで,楽譜の意味は,一人の作曲者の心中でも,作曲者によっても,いろいろな意図をもって浮遊する存在なのかもしれません. |
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